シンデレラガールズは輝きの向こう側へ行けるか?

シンデレラガールズの勢いはとどまるところを知りません。

5thライブツアーが大盛況の中で折り返しを迎え、早々に「シンデレラガールズ劇場」は2期が決定、CDの発表も途切れることはなく、ゲームも好調と、規模としては完全に今のアイドルマスターを引っ張っていると言っても過言ではないでしょう。しかし、規模はどんどん大きくなっているシンデレラガールズですが、どうにもコンテンツ全体としてどこへ向かっているかがよく分かりません。もしくは作品の物語が見えないとも言えるかもしれません。

アイドルマスターという作品は、基本的に「プロデューサーがアイドルをトップアイドルへと導く物語」という一本の筋があります。まずこの物語を中心としてコンテンツは進んでいきますし、ファン(プロデューサー)もその物語に則って応援をします。それは作品内における「アイドルとプロデューサー」を「アイマスとファン(プロデューサー)」に置き換えた一種のロールプレイであり、作品に物語がちゃんとあるからこそファンは「プロデューサー」として安心して応援できるのです。アイマスに限らずとも何かを「応援」するためには、大なり小なりこのような物語が重要です(物語は変化や成長を描くものであって、それによって応援する側とされる側が目指すべきところを共有できるからです。どこへ向かっているかわからない人を応援しようとは思えません)。

シンデレラガールズにもお題目としての「トップアイドル」は存在しますが、実際のところそれが機能しているとはあまり言えません。というのも「シンデレラガールズ」という企画自体がそもそも「〇〇な娘がアイドルになったら?」といういわば「出オチ」みたいなものであり、「設定」ありきで「物語」は存在しないのです。例えばASなら「765プロダクション」を中心とした世界にアイドルがいる形ですが、シンデレラはアニメで「346プロダクション」ができるまでは基準となる世界観はありませんでした(ちひろさん要する「事務所」はありましたが、「さしあたっての舞台」以上の役割は満たしていなかったと思います。またその意味では「346プロ」も大して変わらない気はします)。これは魔王のいないRPGのようなもので、そこには「キャラクター」は居ても「物語」はなく、強いて言うなら「物語」はユーザー達がそれぞれ勝手に紡いでいくものになります。また、長く続いていくとアイドルごとに物語が立ち上がる場合もありますが、それはあくまで独立したものでシンデレラガールズ全体の物語には還元されません。1つの世界観でやろうとしたTVアニメがぼんやりしたお話になりがちだったのは、こういった背景が少なからず影響していたからでしょう(それでももう少し何とかできたのではとは思いますが)。

では物語のない作品をユーザー達はどのように応援してきたかというと、はじめはシンデレラガールズの立ち位置がアイマスにおける「新人アイドル」の立ち位置と同様と見ることができました(不遇な状態ということです)。それでアイマスのファンはこれまでと同様にアイマスの物語を当てはめて、「プロデューサー」としてシンデレラを応援することができたのではないかと思います。その後はは少々心もとないながらも、アニメによって応援するための物語が示されました。しかし、4thライブでアニメの物語を一旦終わらせてしまい、またアニメによって人気が爆発した結果「新人アイドル」的物語も成り立たなくなってしまったため、核となる物語がなくなってしまいました。現在はキャラクターや声優さんの魅力と、ゲームやCD、漫画、ショートアニメなど企画の物量や「誰に声がつくのか?」という興味によって勢いを保っていますが、未だ物語は欠落したままです。

物語を欠いた作品がどうなっていくかといえば、閉じたコミュニティになっていくいわゆる「タコツボ化」が起こります。そもそもアイドルマスター自体が、ある程度タコツボ化していく中でその「身内感」を楽しむ面は少なからずあったと思いますが、全員が共有する物語がないシンデレラでは、さらにキャラクター単位でタコツボ化していく恐れがあります。200人近いアイドルがいる中で、それぞれのPだけがそれぞれの担当アイドルの文脈を共有し、その文脈の中だけで応援するようになれば、送り手が作るものもそういったコア層が喜ぶようなディテールを込めたものに偏っていくでしょう。そうなればひたすら内輪だけで同じものをぐるぐる回すような状況になっていきます。それは自分の好きなものだけを与え続けられるようなものですから、当然気持ちも良くなるでしょう。しかし、やはりそのような状況は健全とは言えませんし、「ファン」は同じものを消費するだけの「消費者」に、「作品」は消費させるためだけの「商品」になってしまいます。

アイマスと物語の関係に話を戻します。アイマス内の他のチームを見てみると、765ASはアニメで知名度を得た以後はシンデレラやミリオンを迎えて「先輩」としての物語が立ち上がり、単独では「続けること」それ自体に物語性を見出しました。ミリオンはライブを中心として物語を展開しており、武道館でそれが結実した後は、765ASとの関係が密になり「後輩」としての物語を強く感じられるようになってきました(sideMについては薄っぺらな知識なのですが、それぞれのキャラクターが「理由(ワケ)あって」アイドルになったというコンセプトの時点で、物語が内包されていると見ることができます)。

シンデレラもミリオンと同様、「後輩」としての物語を展開するやり方もあったのですが、割と早いうちに独立したのでその線は無くなりました(そもそも世界観が異なりすぎて難しかったのかもしれません)。ライブによって物語を見せるのも、今更ミリオンにおける武道館のような「約束の地」的なものを作るのは無理がありますし、規模的にも西武ドームくらいならもう簡単に埋まりそうな今のシンデレラでは成立するかは微妙なところです。あるいはASとミリオンがその関係性から物語を立ち上げたように、シンデレラとミリオンをぶつけたりすれば何かしら物語が立ち上がる気もします。どちらかといえば「ソロ」的なシンデレラと「チーム」的なミリオンならちゃんと対立構造になってますし、これはわりといいんじゃないかという気
がしないでもありません。

いっその事、「シンデレラガールズ」としての物語は放棄してしまうのも一つの手かもしれません。物語がないということは、逆にどのような場所でも順応できるということでもあります。それぞれのアイドルが単独で輝ける物語と場所(ソロCD、ゲーム、漫画、etc...)をそれぞれに作ってあげて、内輪ネタで終わらないぐらいちゃんと作り込めば、それぞれのアイドルの物語的な「軸足」ができ、再びアイドルが集結した時の「祭」感がより際立つはずです。例えばMCUマーベル・シネマティック・ユニバース)では、アイアンマンやキャプテンアメリカなどそれぞれのヒーローの物語をきっちり描く場所(単体作品)があるからこそ「アベンジャーズ」で集結した時に盛り上がるのであって、誰も知らないヒーローが集結したってまったく盛り上がりません。もしくは「エクスペンダブルス」はスタローンら往年のアクションスターがやるから意味があるのであって、無名の新人がやっても意味がありません。それぞれのアイドルに「軸足」となる物語があればこそ、ユニットやチームで輝くのではないでしょうか。

もちろん大勢のアイドルに満遍なくスポットを当てるのは現実的ではありませんから、デレステを中心にユニットとしての売り出しが増えてきているのは当然でしょう。声付きのアイドルが大勢増えた現状ではなおさらです。しかしそのユニットの多くが(既出のものやいわゆる「カップリング」的なもの以外)一度限りの企画で終わっている感は否めません。sideMのように既定のユニットであるなら、ソロCDなどを持たないアイドルにとっての軸足ともなりうるのですが、現状そのような効果はあまり得られていないと思います。また一度限りの企画ながらそれが連続性を持って語られるために、アニメの凛のようにむしろどっちつかずの散漫な印象も与えかねません。そもそもシンデレラのアイドル達は基本的にソロありきで創られているのですから、まずソロの面をきっちりやるか、あるいはSideMのように既定のユニットを作ってそれをソロと同等に扱うかしたほうが良いのではないかと思います。

ただここまで私が散々言ってきたようなことは当然送り手側の意識にもあることで、森由里子さん作詞の一連のアニメ主題歌群によって端的かつ非常に美しく示されています。「個性を持ったアイドルが(「Star!!」)、それぞれの個性を輝かせ(「Shine!!」)、皆が集まり大きな物語を描く(「M@GIC☆」)」というように完璧な道筋が示されています。しかし「Shine!!」のところまでは実際ある程度うまくいっていたとは思うのですが、最後の「M@GIC☆」に関してはまだ「星が星座に」なってはおらず、大きな物語は見えてきません。串の刺さっていない団子状態です。

思えば5thツアー宮城公演も団子を適当に並べたようなライブでしたし、「シンデレラガールズ劇場」も一見さんお断りのバラ売り団子屋さんみたいなアニメでしたから、もしかしたら串を通す気はもはやないのかもしれません。いや、むしろ半端に串を通そうとしてかえってバラバラに見えるといった方が近いかもしれません。ただなんにせよそれで実際人気は保ててるわけですし、それはつまり多くの人がバラ売り団子てきなものを望んでいるともいえるわけですから、マーケティング的にはそれで正しいのかもしれません。

いつの間にか団子の話になっていた気がしますが続けます。マーケティングといえば、シンデレラガールズを含む一連のソシャゲ事業でじゃぶじゃぶ儲かっているサイゲームスをまず連想するわけですが、連想したらシンデレラの「バラ売り団子」的印象の多くをサイゲームスから受けている気がしてきました。これはただの思いつきでしかありませんが、バンナム主導と思われるAS、ミリオンにはちゃんと核となる物語がありますし、あながち的外れではないかもしれません。第6回シンデレラ総選挙では、シンデレラガールになったアイドルに別の企画で選ばれた楽曲を歌わせるという、ガラスの靴に合わせるために爪先や踵を切り落としたシンデレラの姉たちのような、物語を無視した企画を立てていましたし、少々気になってきました。ただ、シンデレラにはもちろんバンナムも大いに関わっているでしょうし、サイゲームスは曰く「最高のコンテンツを作る会社」らしいですから、私の全くの勘違いということもあるでしょう。ぼちぼち陰謀論っぽくなってきたので、この話は一旦置いておきます。

ともかく個人的な思いとしては、シンデレラガールズにもちゃんと一本物語の筋を通してほしいということです。先に述べたように筋のない作品は「商品」になり、「ファン」は「消費者」に成り下がってしまいます。「消費者」としてその世界に耽溺することは、消費するだけで「ファン」という属性が得られた気になり、気持ちの良いものです。しかし、そんな状態から新しいものは生まれませんし、作品にとってもファンにとっても幸せであるとはとても思えません。これまでのアイマスがそうであったように、シンデレラガールズも変化を恐れずに新たな物語を打ち立て、そしてその変化がアイマス全体にフィードバックされ、さらにそれが……というように、良い循環の中でシンデレラガールズ及びアイマスがずっと続いていくことを願います。



【おわり】