未詳の空論

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【映画】イニャリトゥも悩んでいます『DIGGER/ディガー』感想(ネタバレ)

アレハンドロ・ゴンザレス・イニャリトゥ監督、トム・クルーズ主演映画『DIGGER/ディガー』観ました。

 

石油王ディガー・ロックウェルが行う無理な石油採掘によって大災害が引き起こされるのだが……という劇中劇を行う人々のドタバタ劇……ではあるのだが、劇中劇の出来事は実際に起きていたことであり、全ては災害後の世界で行われていた!という、入り組んだ構造の作品になっています。

 

この構造自体は序盤から示唆されていて、「これは枠物語(劇中劇)ですよ〜」という宣言であろう冒頭の額縁のような窓のショット、作り物の猫、「みなさんの大嫌いなご存知!白人男性権力者で〜す!」という声が聞こえるような、皮肉にしても悪を単純化しすぎている政府高官の人種構成(現実ではまだ少ないものの女性や非白人の職員も増えてきている)などの描写があったので、これが劇中劇であること自体に意外性はありませんでした。

それから序盤でどんでん返しがあったことで後半でもまたサプライズがあるだろうことも想像できますし、そもそもサプライズでカタルシスをもたらそうとはしていません。

 

重要なのはこの構造で何を語ろうとしているかですが、環境問題を見ようとしない人々への皮肉だとか、「Woke」な人々の欺瞞を暴くだとか、果てはこの映画を観て何かを悟った気になっている観客への嫌がらせだとか、様々な解釈ができる中で、自分は単に「監督自身の葛藤がそのまま形になっているのでは」と思いました。

 

「横暴な権力者に好き勝手させてたら世界が無茶苦茶になるぞ!」「とか言って権力批判してる自分もそれに同調する人々も皆それなりに裕福で安全圏の中から石を投げてるだけじゃないのか?」「権力批判もいっときのガス抜きになるだけで格差は無くならず、結局得するのは権力者の方なのでは?」「もし世界が大変なことになっても人間は生き残るし、生きてる限り希望はある……のか?」といった感じで、今の社会に対する監督の葛藤がそのまま今作の構造になっている気がします。

 

本作が皮肉にしては切れ味が悪いのも、主題が掴みづらいのも、スッキリさせてくれないのも、単に監督自身が答えを出せてないだけなのではないでしょうか。

 

安直な答えや分かりやすい救いを提示せず、葛藤をそのまま提示するというのもある意味誠実な姿勢と言えるかもしれませんが、答えを出せずに逃げただけとも言えます。

 

自分としてはこの葛藤する感覚も分かりますし、その真面目な姿勢に割と好感を持ちながら本作も観ました。しかし「だから何?」と言われたらそれまでの内容ですし、左派も右派も乗りづらく、映画的なカタルシスも無く、新しいイメージを提示できているわけでもないので、売れないのも当然でしょう。

 

ともあれこんな変な映画を大スター主演の大作として上映できていることに関しては、シンプルにすごいと思います。

 

 

今回はこの辺で。

消灯ですよ。

 

 

 

【読書】差別は正常な社会現象である『支配の位相幾何学——差別とメリトクラシーの根源を問う』(小坂井敏晶)

 

 

 奴隷制とヒトラーのどちらかを選べと言われたら、どうするか。両方とも拒否するだろう。では、もっと酷い社会しか残っていないが、それでも構わないか。

p009

 

位相幾何学とは、形や空間を連続的に変形しても変わらない性質を研究する学問である。本書は身分制・差別・メリトクラシーが位相幾何学のように形を変えながら同じ支配構造を持っていることを明らかにする。

 

身分制が廃止され、平等な社会が訪れたはずだった。しかし依然として階級間の移動は困難であり、根拠を失った身分制は苛烈な差別に姿を変えた。

 

身分制の社会は理不尽な苦しみに満ちているが、上の身分が下の者を排除する動機は生まれない。階級は神が定めたものであり、下の身分の人間は自分たちの階級を脅かす心配はないからだ。

 

他方、階級間の移動が可能とされる「平等な社会」においては、自分たちを脅かす可能性がある存在を積極的に差別・排除する動機が生まれる。その存在が自分たちに近くなるほど立場を脅かされる危険性が増し、排除の力はより強くなる。

フランス革命によりユダヤ人が解放され、社会に同化を始めたことからユダヤ人差別は苛烈さを増し、ついにはホロコーストに至った。人々の差異が小さくなるほど、社会が平等に近づくほど差別による苦しみは大きくなる。差別は間違った心理現象ではない、平等な世界の正常な社会現象である。

 

仮に差別が無くなったとしても、そこに現れるのは純粋なメリトクラシー(能力主義)である。身分制・差別が無くなっても格差は残り、自分の思い通りの人生が送れるわけではない。そこで生まれる格差の根拠は「個人の能力」の差に求められ、「お前の人生が上手くいかないのは、お前自身が無能だからだ」という、逃げ場のない自己責任社会が完成する。

しかし「個人の能力」及び責任を科される「主体」なるものは虚構であり、遺伝・環境・偶然という外因の沈殿物である。自分ではどうすることもできない要因で人生が決まるのは、身分制も差別もメリトクラシーも変わらない。

明らかな不当に苦しむ被差別者よりも、「自分が無能だから仕方がない」と自己責任という虚構を受け入れて不遇に甘んじる無知な奴隷の方が幸せなのか。

 

著者の前作「格差という虚構」において、メリトクラシーが蔓延る社会の中で偶然が一縷の希望として提示された。しかし結局は偶然も外因のひとつに過ぎず、くじ引きと同じである。依然として我々は袋小路の中だ。その前提から始めなければならない。

 

 

以上が本書の概要である。

 

 

本書は著書がこれまで繰り広げてきた虚構論に差別についての論考を加え、さらには類似の論点を扱う思想家との比較や批判に対する応答まで行っている集大成的一冊である。主要な論点に関しては本文を読めばよいため、ここでは終章の後に掲載されている補論「テレビ広告に登場する白人」とアイデンティティについて考えたい。

 

補論では小坂井氏が1980年代日本のTV広告に登場する外国人の割合を調査した際のデータが示される。

TV広告に登場する外国人は白人が圧倒的に多く、憧れの象徴として西洋文化の影響を強く受ける業界で積極的に起用されるが、和食や葬儀等の日本人の生活に根ざした業界においては白人及び外国人の起用はかなり少ない。

 

これは先述の差別の原理で説明がつく。TV広告という理想のイメージの中にある限り、いくら白人が出てきても日本人としてのアイデンティティは揺るがないため安心して受け入れられる。他方、実際に自分たちの生活の中に白人が入ってくることが連想されるとアイデンティティが脅かされる恐怖から拒絶される。外国人の一時的な就労は認めるが、移民は拒絶するという現代のナショナリズム的な価値観にも同様の構造が見られる。

 

そもそもアイデンティティとは何か。本書にも「アイデンティティの虚構性」という項があり、そこでは以下のように説明される。

アイデンティティは血縁や文化の内容ではない。単なるラベルであり、空の入れ物だ。同一化と差異化の運動が同一性の虚構を生み出す。

p149

 

人間は外因によって変化し続けるが、他方で一貫した自己があると錯覚する。その不安定な錯覚を補強するために、他者との類似点や相違点からアイデンティティという虚構を捏造する。

 

アイデンティティは血統、国民性、性別、人種など、普遍的と感じられるものの方が望ましい。その場でコロコロ変化するようなアイデンティティでは一貫した自己というものを信じられないからだ。

 

しかし近代において主体という虚構が生まれ、普遍的なアイデンティティが成立しなくなった。血統、性別、人種は不当な線引きとされ、抑圧から解放された先に「本当の自分」があると信じられた。

 

もちろんここまで散々触れてきた通り「本当の自分」などというものは存在しない。故に社会は存在しない「本当の自分」を目指して抑圧に抵抗し続けるか、辛うじて残った国家というアイデンティティを守るために「敵」を捏造して境界線を引き直すかの大きく二通りに分かれたが、どちらの道も終わりない戦いを強いられるだけで、その先に人類の幸福は無いだろう。

 

この先、安定した社会や人類の進歩を望むのであれば、アイデンティティが大きな壁となるだろう。「推し活」、宗教回帰、AIなど、上記の二者以外の細かな動きもあるが、いずれにせよ社会全体が安定的に信じられるアイデンティティを新たに構築するか、なんらかの方法でアイデンティティを捨てるか、そのどちらかが実現すれば、良いか悪いかはともかく社会は先に進めるのではないだろうか。

 

 

【映画】「ディスクロージャー・デイ」感想

スティーブン・スピルバーグ最新作『ディスクロージャー・デイ』観ました。

 

謎の組織が隠蔽し続けてきた「真実」を世界に開示すべく、天命を受けた男女が奔走する……という陰謀論ど真ん中の内容で、これを観た多くの人は困惑したと思います。

 

本作で描かれる「秘密裏に国が宇宙人を捕獲・拷問して技術を研究していた」という「真実」のありきたりさもさることながら、この「真実」を開示することによってキリスト教と矛盾が生じるという、まるで世界にキリスト教徒しかいないかのような葛藤を提示されても、どうでもいいとしか言いようがありません。

 

それでも自分が本作を嫌いになれないのは、スピルバーグの映画の上手さ(素晴らしい映像ばかりで終始目が楽しい)も勿論ありますが、何よりもここで描かれる人々の切実さに打たれてしまったからです。

自らの天命を知り救いを得るという構造は、陰謀論にハマるときのそれと完全に一致していますが、居場所がなく、役割がなく、目的もない現代の自由な社会において、陰謀論であれ「自らの役割」を与えてくれるような「真実」がある種の救いになるのも事実。

同様に救いをもたらすものである「信仰」も「真実」と共存できるということを示すことによって、対立を超えて人々が解放される……のか?というラストも、リアリティはともかくそれを願う切実さはやはり伝わりました。

 

「人間の存在に意味がない」という真実を人間は受け入れられないのでは?という問い自体にも妥当性はあり、それでも真実を開示するラストに一種の開放感も感じました。

 

まあその「真実」が「宇宙人の存在」であることが全てを馬鹿馬鹿しくしてるのですが、ここで描かれている感情はとても現代的なものだったように思います。

 

 

それでは今回はこの辺で。

消灯ですよ。

 

 

 

【ミリオン14th】ツイン主演制に未来はあるのか?(DAY2感想)

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2026年9月20日・21日に国立代々木競技場 第一体育館で開催された「THE IDOLM@STER MILLION LIVE! 14thLIVE」、DAY2「Blooming Sign」は現地にて鑑賞したので感想を書いていきます。DAY1の感想は↓

tokifuji.hatenablog.com

 

「765NEI」以来、およそ1年ぶりの現地参加だったのですが、まずは行ってよかったです。生身の人間がステージ上で歌ったり踊ったりしているのを見るという根源的な感動は、やはり配信やxRライブでは味わえないということを改めて感じました。配信は配信で楽なのですが、これも大きな音を浴びながら大勢の人の中で声を出したり体を動かしたりする楽しさは現地でしか味わえないものがあります。

客席やステージについては特に文句はないのですが、会場内・外の動線がかなり分かりづらかったです。特に退場時は台風の影響による豪雨もある中、規制退場もなく、狭い出口にぎゅうぎゅうに詰め込まれて大変でした。どこに向かっているかもわからず、道は軽く冠水してるわ傘は浸水するわで宿にも辿り着けないかと思った。

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この世の終わりみたいな帰り道

 

閑話休題

 

ツイン主演制の難しさを感じたDAY1でしたが、DAY2に関しては端的にめちゃくちゃ楽しかったです。特に莉緒公演に関しては今までの主演公演の中で一番好き。

ただしこれは久々の現地ということでの高揚感だとか、莉緒関連で好きな曲が多いとか、自分が山口立花子さんのファンであるとか個人的な要因も大きく、ツイン主演制による弊害が解消されていたわけではないと思います。やはり時間は足りておらず、しかしそれが比較的気にならない内容だったというだけでしょう。

もっと時間があればさらにできることも増えたでしょうし、今回の好評は初のツイン主演制という新鮮さとキャストの多大なる尽力があったおかげであり、これがこのまま定番化していっても物足りなさや不満が目立ってきてしまう気がします。言ってしまえば今回はそれぞれの主演公演の短さを豪華なおまけで誤魔化しただけで、ツイン主演制でなければ表現できない主演公演だったと言えるかは微妙で、今回楽しめたPも「自分の担当の主演公演もツイン、なんならトリプルでもいいや」とは必ずしもならないと思います。

 

今後もツイン主演制を続けるとして、「ツイン主演制“でも”いい」ではなく「ツイン主演“が」いい」と思える内容にしていく必要があると思います。それはどういうものなのか考える前に、まずは今回のDAY2を振り返っていきましょう。

 

馬場このみ主演公演「Come Know Me」

このみさん公演は、前半で「アイドルにならなかった、それはそれで幸せな可能性」を認めた上で、後半「アイドルを選んだ現在」を改めて肯定するという2部構成。

 

今回の席がスタンド中間で少し遠めだったため「主演にしては地味めの衣装だな」と思ったぐらいで、後半にに至るまで意図に全然気づきませんでした。

そのぶん11thのロコも連想する衣装チェンジの瞬間には大きなカタルシスがあり、構成的にも視覚的にも非常に分かりやすくテーマが示されていました。セトリの意図も明快で、それでいて突然『侠気乱舞』が入るなどの遊びもあり(これは社会全体がヤクザ化してることのメタファーと捉えました。絶対違うけど)、短い時間の中でまとめるためによく考えられているのが伝わりました。新曲『If I…』も公演を総括するような、良いエンディングテーマとなっていたと思います。

個人的に良かったのはミリアニ8話の探偵姉妹による『ジェミー』(渡部恵子さんが見るたび上手くなってて驚く)と、それぞれの声のバランスが良かった『it's me』(大関さんも入れて「Jus-2-Mint」が揃ったところも見たかったけど)。

 

とても綺麗にまとまっていましたが、尺に対してギミックが目立ちすぎてしまうところもあり、髙橋ミナミさん自身も語っていますが「その先の未来」を表現する時間が足りなかったのは仕方ないですが惜しいところ。

 

 

百瀬莉緒主演公演「Cheerful Love♡Call」

そもそも今回現地に行ったのは、世の中が景気の悪い話しかない中で「『週末だけのハーレクイン』でも聴いてパーっと踊りて〜」と思ったからなのですが、莉緒公演がドンピシャでそんな感じのライブになっていたうえ、全体通して好きな曲しか流れなくてずっとニコニコでした。時間は半分でしたが満足度は200%です。ありがとうございます。

 

本当にセトリが良くて、大好きな『WHY?』から始まり、ずーーーっと聴きたかった『真夏のダイヤ☆』が聴けた時点でもう100点。「Na-Na-Na」コールと一拍開ける特殊なクラップも現地でできて超嬉しかった。その後の『海風とカスタネット』『NO CURRY NO LIFE』というビーチを感じながら盛り上がる流れも良い。特に『NO CURRY NO LIFE』は4thで山口立花子さんを意識したきっかけかつ曲自体も大好きだったので、やってくれて良かったです。

チャットの演出から『Texting you』に繋がる流れも気が利いていましたし、大大大好きな『LEMONADE』まで流れてニッコニコ(選出理由は間奏のセリフで気づいた)。あえての元気なアイドルをそろえた人選も対比が効いていて歌声のバランスも良く、「タッチはあだち〜」が昴なのも完璧。そしてこの曲がカバーされるたびに、KIRINJIセルフカバー版では値上げされていたレモンの価格がそのままなのを聞いて「昔は物価が安かったな」と思うのが定番になってきました。『Be My Boy』も聴くたびに良い曲だなと思いますし、冒頭盛り上がってから一旦チルなブロックを挟むセンスも良い。

そしてこれを聴かなきゃ始まらない『花ざかりWeekend✿』から、慣れないお酒を飲む桃子にドキドキした『Border LINE→→→♡』、ラブラブな『ラ♥ブ♥リ♥』から前向き失恋ソング『ゲキテキ!ムテキ!恋したい!』(好き)に繋げるのも面白いですし、『Luvliminal image 』(好き)、『ラビットファー』(好き)、『Dance in the Light 』(伊織と歩ばかりに注目してたけど改めて昴にめちゃくちゃあってると思った)と、ここのメドレーは好きな曲しかありませんでした。

そして何より散々盛り上がった後で本命の『週末だけのハーレクイン』が来るという構成も最高で、この曲はいつ聞いても本当に元気が出る。立花子さんがセトリについて「今回は前向きな曲を選んだ」と語っていましたが、とはいえ単純に「前向き!元気!」という選曲ではなく、失恋してたり、憂鬱を抱えていたり、想いを伝えられなかったりと、ままならない人生の中でそれでも前を向くような曲が多く、まさに「悲喜もこもごもあれども今宵歓迎いたしましょう」な精神が貫かれており、クライマックスで満を持して『週末だけのハーレクイン』が流れた時の多幸感はそれはもう半端なかったです。

ひたすらに楽しかった祭りの締めとして歌う新曲『Waking Up My Heart』も格好良く、特にサビの終わりにスポットライトを浴びながら踊る姿が最高にキマっていました。あと余談ですが、現地で見る莉緒の衣装のスパンコールがキラッキラで、遠くからでもどこにいるかすぐ分かる人間ミラーボール状態だったのも最高でした。

 

その後のデュオパートは席がトロッコの停止位置に比較的近く、お二人をじっくり見られたのも良かったり、いずれにせよもう何がきても楽しい状態になっていたので何も考えずただただ盛り上がっていました。二次会の時の会場の盛り上がりも凄かったですし、久しぶりの現地がこの回で良かったです。

 

 

というわけでこのDAY2はもちろん、DAY1も色々考えたりコメンタリーが面白すぎたのもあり、結果的にはこのツイン主演制もかなり楽しみはしました。

しかしライブ後の主演キャストの方々の並々ならぬ関わり方を聞いたりする中で、改めて再現性は低いと思いました。今回はイレギュラーゆえの熱量があったから良かったものの、これが基本になってしまうと各所への負荷が高すぎてすぐに破綻してしまう気がします。結局のところ「ツイン主演制」という企画自体の練り込みが浅かったのは間違いなく、そもそもの「ツイン主演制」の意義を問い直すことから必要でしょう。

 

今回の2×2公演を観て、まず感じたのは「ツイン主演制」に向いてるアイドルと向いてないアイドルがいるということです。エミリー・まつりのように独自の世界観そのものを表現する必要があるアイドルは難しく、このみ・莉緒のように分かりやすい物語やシンプルなコンセプトを立てられるアイドルは比較的やりやすいと言えそうです。

これまでの主演で考えてみると、ロコはライブドローイングを削れば成立しそうですが普通のライブになってしまいそうで、百合子は物語をダイジェストにすれば比較的成立しそうですが、物足りなさは出てしまいそうです。麗花さんは個性の強いアイドルと組むだけで「普通さ」が際立つため万能で、歌織さんも「歌」というテーマが分かりやすいため合っている方でしょう。紗代子はバトンタッチの演出はできない分勢いは表現できそうですが、千鶴さんはあの世界観を表現するのが今回のエミリー以上に難しい気がします。

もちろんツイン主演になったらなったで別のコンセプトになるのでしょうが、いずれにしても合う・合わないは出てきそうです。

 

そしてツイン主演で魅力が減じづらいアイドルにしても短縮版になってしまうことに変わりはないわけで、ツイン主演制というのであれば単純なユニット推しではなく、二つの主演公演が互いの魅力を引き立て合うようなものが望ましいでしょう。

今回のこのみ・莉緒のように「大人」みたいな括りにすると(実際はそうなりませんでしたが)差が出しづらく互いの個性を打ち消してしまう可能性が高そうですし、エミリー・まつりは「大和撫子」「(洋風の)姫」で対立軸を組めそうですが、それ以前に各々の世界観を表現するので手一杯だったように見えます。

 

全く違うコンセプトを並べても当然ガチャガチャするだけでしょうし、同じ軸の正反対のコンセプトを並べるというのが一番分かりやすいのかもしれません。

例えばギミックモリモリの茜ちゃんと普通の麗花さん(もう実現不可能ですが)、孤高の朋花と友達大好き恵、落ち着いた大人の風花さんとわんぱくキッズの環などの組み合わせがパッと思いつきましたが、意外とちょうどいい組み合わせは多くなさそう。

 

とはいえ正直単独主演ができるならそれに越したことはないですし、では別の見せ方があるのか?などなど、まだまだ課題は山積みのように見えます。願わくば全ての主演が担当Pやキャストの納得のいく形で完走できることを願っています。欲を言えば諸々の課題を一気にひっくり返すような、画期的なアイデアが見られればなお嬉しい。

 

ひとまずは今回のライブに関わった皆さん、特に主演キャストの皆さん、本当にお疲れ様でした。

 

15thの発表はなかったものの、来年はデレミリ対バン(行きます)、ミリシタ10thもあるので楽しみは尽きません。

 

 

それでは今回はこの辺で。

消灯ですよ。

【ミリオン14th】やっぱりツイン主演制って……(DAY1感想)

2026年9月20日に国立代々木競技場 第一体育館で開催された「THE IDOLM@STER MILLION LIVE! 14thLIVE DAY1 夢咲くワンダーミラージュ」、配信で鑑賞しました。

 

ツイン主演制という新たな試み……といえば聞こえはいいですが、主演アイドルの持ち時間が実質半減したうえ、これまでのようにアイドルひとりひとりににスポットを当てる内容ではなくなる懸念を大いに含んだ形式でのライブとなった今回。DAY1を観た感想としては「それぞれの主演公演を時間以上に詰め込めてはいるが、やはり時間は足りておらず忙しない」というのが正直なところ。

 

MCを削り、演出を削り、できる限り単独主演と遜色ない内容を見せようという努力はとても感じましたし、その気概に心打たれる部分は大いにあったのですが、今回はただでさえ時間が無い中「エミリーの世界観」、「まつりの世界観」、「2人の世界観」という3つの世界観が特に説明もなく提示されるので、今がどの世界観で何を表現しようとしているのかを考えているうちにライブが進み、あっという間に終わってしまったという印象でした。

いつもは「コンセプトをキャストに説明させるな!内容で語れ!」と思っていますが、内容で語る余裕がない今回のような場合、ある程度の説明は必要だったのではないかと思います。

 

エミリー主演公演「織々の花だより」

エミリーの公演は「四季をはじめとした日本文化を背景に、故郷のイギリスにも想いを馳せながらも、異国の地で見つけた自分の理想である “大和撫子” を体現する」といった内容だったと思います。新曲「ひととせ結び」がまさに今回のテーマそのものを表していて、歌詞を読めばこの公演で伝えたかった世界観もよく分かるでしょう(内容のシンクロは偶然のようですが)。

ただしこれはセトリの意図をよく考えて、新曲の歌詞を読み込んだうえでようやく得られた解釈です。初見で『初恋』と『Hug a nice day!』で四季を表現しようとしているのは何となく伝わりましたが、『風花』が冬の季語であるとか、『鉄の羽のエクソダス』がモチーフとしているスチームパンクはイギリスのヴィクトリア期がベースとなっているからエミリーのルーツを示しているのであろうとか、『オレンジ・エピソード』は遠い故郷にいる友人との大切な思い出を回想しているのだろうかとか、そういった文脈をリアルタイムで解釈するのはかなり難しかったのではと思います。

またツイン主演であることもややこしくて、冒頭の不穏なシャルシャロ風の演出から上記のテーマに繋がるとはなかなか思えませんし、助演の衣装も仮にエミリーの単独主演なら「なるほど和洋折衷でイギリス国旗カラーにイギリス的なチェック柄でエミリーらしいな」と思ったかもしれませんが、今回はツイン主演というのが先行していたので、それよりも前にエミリーとまつりで半々の衣装なのかな?と思ってしまいました。まつりパートの助演衣装もパッと見エミリーの和装部分をキャストオフしただけに見えたので「まつり衣装がベース?なんでエミリーは半分だけ?」としばらく混乱していました。(仮面ライダーのフォームチェンジみたいなカスタマイズ衣装のアイデア自体は結構好き。今後も何かに活かされそう)

 

そんな状況もあってなかなか集中できず、リアルタイムではこの繊細なテーマを受け取りきれなかったというのが正直なところです。これも仮に単独主演で、季節ごとに2〜3曲ゆったり使って、エミリーのルーツも含めた世界観にじっくり浸った後で、エミリーの理想とルーツのどちらも感じさせる『ひととせ結び』を聴いたら素直に超感動できただろうなと思います。

とはいえこんなことを想像できるのも公演の中に芯がきちんと通っているからで、セトリや演出の意図を考えたうえで再度観れば割と納得できます。というか私自身ここまでこの公演について考えて書いてきた中でかなり評価が上がりました。もちろんもっと分かりやすい単純なコンセプトでやることもできたでしょうが、今回のような形になったのはPへの信頼あっての選択でしょうし、そのこと自体は嬉しく思います。ただやっぱりもっと時間が欲しかった。

 

徳川まつり主演公演「わんだほー!まつり姫の☆プリンセスフェスタなのです♪」

一方のまつり公演はファンシーで可愛いお姫様!といったコンセプトで貫くストロングスタイル。盛り上がる曲も多く、いつものライブに近い形だったため比較的没入しやすかったのですが、エミリー公演からの切り替えが難しく、「この選曲にも深い意図が……?」しばらく疑心暗鬼でした。

もしエミリーとまつりの順番が逆だったらもう少し飲み込みやすかったかもしれません。感覚的にはこれまでのライブと同じような形で入っていけますし、助演の衣装的にも混乱しづらかったのではないでしょうか。まあギリギリまで内容は話し合われていたみたいですし、制作上難しかったのでしょうが。

 

映像演出も無しでパフォーマンスによるエンタメを貫く姿勢はエミリーとの良い対比になっていたとは思いますが、やはりこれも後から考えればという話で、リアルタイムで汲み取るのは難しかったと思います。そしてどうしても単独主演だったら実現していたかもしれない華やかなステージに想いを馳せてしまうのは否めません。

ただ、まつりの理想を貫くステージの最後に歌われた新曲『ネバーエンド・ワンダーランド』は素直に感動しました。ずっとまつりの歌詞を書いてきた松井さんならではの、最後まで「なのです」を使わないという必殺技を、ここしかないという場面で使ってくるのは流石の仕事。

 

 

しかし「やっぱツイン主演制って……」などとずっと考えていたせいで肝心のキャストのパフォーマンスにも集中できないまま終盤を迎え、最後は結局シャルシャロやんと思いながら見ていたら「トロッコあるの!?」「わた花!?」「新曲!?」と3連サプライズでいっきに持ってかれました。

その後の『Prima Princess!!』『 ドレスコード:最上級』『Eternal Harmony』という並びも期待を裏切らないもので、最終的な印象としては「うまくまとめられたな」といった感じです。

 

ただしこれはメインディッシュの物足りなさを豪華なデザートで補ったような感じで、やはり「主演公演」単体で見れば(内容が半分以下に薄まる懸念もあった中、与えられた時間以上のものを見せることができていたにせよ)これまでの単独主演公演と同じとは言えないでしょう。ライブ全体で見ればいつもの1.5倍くらいの内容が詰まっているのでいつも以上の満足感は得られたのですが、全ての賛辞が主演一人に捧げられるあの多幸感はどうしたって半減しますし、その分をデュオ新曲だけで埋められたかといえば、もちろん無いよりは100万倍良いとはいえ、それとこれとは話が別という気がします。

 

また、今回キャストが内容に深く関わっているということも気になっていて、普段ならキャスト発案の演出はとても嬉しいものなのですが、それは「本来ステージでパフォーマンスしてくれるだけでも十分なキャストの方が、より良いものを見せるために自ら演出を考えてくれた」ことが嬉しいからであって、「納得のいく内容にするために進んで関わらざるを得ない」というのは美談とは言えないと思います。

 

もちろん運営側も、おそらく本意ではない「ツイン主演制」を取らざるを得ない状況になってしまった中で(忖度参照)、主演キャストが納得できる形になるようにきちんと話し合いの場を設けて、できる限り希望を汲んでいたらしいのは良かったと思います。しかしパフォーマンスだけでも大変な主演キャストの負担を増やすのはやはり望ましくないでしょうし、全体の構成など作り込みが甘い部分は目立っていたので、もしまた「ツイン主演制」をとるのであれば、もっとよく練った上で開催して欲しいです。

 

今回はこの難しい状況で出来うる限りのベストは尽くしたとして、では「ツイン主演制」はどんな形ならより良かったのか?ということについても少し考えたりしたのですが、それについてはDAY2の感想と合わせて書くこととします。

 

 

それでは今回はこの辺で。

DAY2へ続く。

 

【読書】Audibleで聞いた本あれこれ

最近またAudibleで本を聞く習慣ができてきた。長時間ある分ながら聞きにはやはり便利。

 

以下最近聞いた本

 

『 自由の命運―国家、社会、そして狭い回廊―』(上・下) ダロン・アセモグル、ジェイムズ・A・ロビンソン 著、 櫻井 祐子 訳

「自由な社会」が現れるのはどのような状況なのか。それは国家が強大な力を持つ「専横のリヴァイアサン」、そして国家が全く機能しない「不在のリヴァイアサン」の間に挟まれた狭い回廊の中にある。そしてこの回廊に留まり続けるには、国家が強い力を持ちながら、社会の側も国家が暴走しないための足枷を嵌める力を持っている状態「足枷のリヴァイアサン」を目指さなければならないということを、様々な国家や社会の歴史を分析する中で示していく。

国家の力が強い社会に自由が無いというのは想像できるが、国家が力を持たない社会にも自由が無いという視点は新鮮だった。他方国や社会など大きな話に終始しており、そこに生きる個々の人間に対する視点は薄いが、国や社会が目指すべきところを明解に示せているのは意義深い。

上巻は図書館で借りて紙で読んでいたのだが、途中でAudible版があることに気づいて移行。しかし図を参照できなかったり、聞きなれない土地の聞きなれない固有名詞が飛び交うため、これは紙の本で読む方が合っていると思う。

 

 

『言語化するための小説家思考』小川哲 著

内容自体にそこまで新鮮味がある訳ではないが、論旨が非常に分かりやすいのと「ゴミである」といった言葉が度々出てくる皮肉な語り口が面白く、あっという間に聞ける。小川氏の小説は読んだことがなかったが、読んでみたくなった。

 

 

『人間らしさとは何か 生きる意味をさぐる人類学講義』海部陽介 著 (途中)

『自由の命運』で社会については考えたため、今度は社会を構成する人間そのものについて知るために聞き始めた。

まだ途中だが、ヒトがどのように進化してきたのか、なぜヒトのように知能を発達させた生物がいないのか、他の動物と比べても優れているヒトの身体的特性とは?、胎児が未熟なま生まれてくるのはなぜ?などなど、興味深い研究が数多く知れる。

講義を書籍化したという構成のため音声との相性も非常によく、超面白い講義を受講している気分で楽しめる。

 

 

引き続きいろいろな本を聞いていこうと思うが、まもなく小坂井敏晶氏の新刊『支配の位相幾何学 ――差別とメリトクラシーの根源を問う』(超面白そう)が発売されるため、差し当たってはそちらに集中したい。

 

 

それではこの辺で。

消灯だよ〜。

【映画】Youtubeが生んだ才能『バックルームズ』感想(ネタバレ)

映画『バックルームズ』観ました。

 

「The Backrooms」とは、アメリカの匿名掲示板発の都市伝説。奇妙な黄色い部屋が写った一枚の画像から草の根で広がっていった世界を元に、まだ10代だったケイン・パーソンズがYoutubeにアップした一連の動画シリーズが今回の映画版に繋がっています。

本作の日本公開が決まる少し前、Youtubeのおすすめで彼の動画がたまたま流れできたのがきっかけでバックルームズにハマったばかりだったので、今回の映画も非常に楽しみにしていました。

 

 

このYoutubeの動画シリーズがそもそもすごい。基本的にはCGで作られた映像でありながら実写の映像をシームレスに繋げたり、ビデオテープのエフェクトを上手く活用しており一見してCGと分からないほどの映像となっています。他にも手持ちカメラの手ブレ感、編集、演出、音響等、どれも素人離れしていて10代の仕事とは思えません。この若さで監督を任されるのも納得。

 

バックルームズ世界には黄色い部屋以外にも様々な空間があり、「エンティティ」と呼ばれる怪物が存在するとされています。そういった設定について考えるのもバックルームズの大きな楽しみではあるのですが、今回の映画は諸々の設定を見せびらかすようなことはせず、あくまで空間そのものの奇妙さであったり、不安といった感覚を中心に置く抑制の効いた演出が好印象。

 

とはいえ冒頭のファウンドフッテージ映像では監督の動画シリーズに登場する「バクテリア」と呼ばれるエンティティ(上に貼った動画のサムネにいるやつ)……と思わせるような絶妙な位置に三脚が置かれていたり、「プールみたいな部屋があった」というセリフ、謎の大企業「Async」など、「The Backrooms」及び彼の動画シリーズのファンへのサービスも抜かりなく、初の長編映画としても非常に良いバランスだったと思います。

 

また主人公の家具屋が撮影するローカルCMの感じなども、元ネタと思われる動画を例のごとくYoutubeのおすすめから見ていたのでニヤリと出来ました。勿論監督もリアルタイム世代ではないので、やはりYoutubeでこれらの文化を知ったのでしょうし、まさにYoutube時代の映画と言えるでしょう。

 


 

 


これはローカルCMをパロディしたギャグ

 


ケイン・パーソンズと同じくYoutube出身カリー・パーカーの『オブセッション 災愛』に登場するアイテムの90年台風架空CM

 

他方Youtubeの動画から長編映画にするために避けては通れなかったドラマパートについては賛否両論ありますが、「The Backrooms」及びリミナルスペース(不気味な無人の空間)に「惹かれてしまう人」については的確に表せていたと思います。

社会に馴染めず常に「ここではないどこか」を求めてしまう。誰かと居ることに対して息苦しさを感じてしまう。そんな心の隙間を抱えた人間にとって、「The Backrooms」は恐怖と同時に一種の憧れのようなものを感じさせる対象なのではないでしょうか。

 

その点本作における「The Backrooms」は様々な設定を持つお化け屋敷ではなく、むしろ主人公クラークの精神世界とも取れるように描いているのも良い調整で、なんとも言えない不安を醸し出す空間と、そこに惹かれる人間という構図が「The Backrooms」という現象そのものを上手く描けていたのではないかと思います。

 

もちろんドラマパートが少々退屈なのは否めないですし、展開も乱暴で、部屋に入ったり出たりを繰り返す構成のテンポが悪さも気になります。しかし描くべきものはしっかり描かれており、刺さる人には間違いなく刺さる一本になっていたと思います。私もちゃんと刺さりました。(ただしラストのおまけ映像だけは地味だし長いし劇場で見るものではなかったかなと思います……)

 

ともあれこれで世界観の説明は済みましたし、既に制作が噂されている続編では、さらに広がった世界を見られることを期待しています。楽しかった!

 

 

それではこの辺で。

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