【アイマス歌詞話】中村彼方さんと『瑠璃色金魚と花菖蒲』

※この記事は2019年4月3日にニコニコブロマガに投稿した記事「【歌詞話】中村彼方さんと『瑠璃色金魚と花菖蒲』 」をベースに加筆・修正を加えたものになります。


アイマスに関わりの深い作詞家さんの歌詞の特徴と、その方の歌詞を1つ取り上げてじっくり味わっていくコーナー。今回は中村彼方さんです。


中村彼方さんについて

主な作詞楽曲
『瑠璃色金魚と花菖蒲』
『CAT CROSSING』
『Silent Joker』
『ラスト・アクトレス
『ヒカリのdestination』など

中村彼方さんは、アニソンやアイドル曲を中心に活躍する作詞家で、『少女☆歌劇 レヴュースタァライト』の一連の楽曲や、少女時代『GENIE』の日本語版の歌詞なども手がけており、一度はその歌詞を耳にした方も多いでしょう。

アイマスでは「ミリオンライブ! シアターデイズ」から、白石紬『瑠璃色金魚と花菖蒲』をはじめとしたソロ楽曲、イベント曲『ラスト・アクトレス』、また「シャイニーカラーズ」でも『ヒカリのdestination』など、近頃ランティスアイマス楽曲で様々な歌詞を提供しています。

そんな中村さんの歌詞に共通して言えるのは、誰か特定の相手に向けた想いを綴っているという点です。それは、ストレートに意中の相手だったり、友人や仲間、はたまた「世間」だったりしますが、多くの歌詞において「語り手」と「相手」との関係性を中心に展開していきます。もちろん歌詞も表現の一つですし、大なり小なり誰かに向けたものにはなるのですが、中村さんの歌詞は特にその関係性を強く感じさせます。そのため語りかけるような口調の歌詞が多く、情景や具体的な場面よりは、感情に重きが置かれています。それに加え比喩が多用されるので、所々難解な印象を覚えることもありますが、それがかえって聴き手の想像力を刺激するのか、曲名で検索するとだいたい考察が転がっていたりします。

この「相手」の存在については、歌詞全体を通じて得られる印象なので、なかなか一部を抜き出して指摘するのは難しいですが、恋愛や憧れを歌った『瑠璃色金魚と花菖蒲』『Silent Joker』『ムーンゴールド』、曲名からして語りかけている『Come on a Tea Party!』は言わずもがな、必ずしもそうでない『CAT CROSSING』や『ラスト・アクトレス』でも出だしから誰かに語りかける口調なあたりからも、見て取れるんじゃないかと思います。

獲物くらい自分で見つけるわ 甘く見ないで
飼いならすつもりなら 他を当たってよ
『CAT CROSSING』
ほらね ショウが今始まる
見守っていてください
なんとしても演じきるわ
この役の最期まで
『ラスト・アクトレス


話は少しズレますが、『ラスト・アクトレス』について、これは劇中劇の曲というのもあってか、観客に向けたナレーションと思しき語り(敬語のところ)、劇中劇に対応した複数の登場人物の語りとが絡み合って、かなり複雑なものになっています。その中で情景描写にまで比喩が多用され、さらに難解な印象を与えるのですが、比喩の複雑さが特に現れているのが次の一節。

林檎のように赤い小川はある日 床に滴ってしまう
瞳孔は闇を映す 未来を失ったまま

これは端的に言えば「死体」の描写なのですが、「赤い小川」という比喩に対して「林檎のように」という比喩がさらに重ねられていて、「小川」にかかる表現としてはそぐわない「滴ってしまう」でようやく「血」を表現していることがようやく想像できます。「瞳孔は闇を映す 未来を失ったまま 」に至るところでようやく「死体」を表しているのが分かる、なかなか難解な印象の一節です。この『ラスト・アクトレス』は「劇場サスペンス」と言いながら、実際ほぼミステリーだったので、それに寄せたのかもしれません。

先に述べた通り、こういった「難解さ」は逆に言えば聴き手の解釈の幅になり、一方で主軸となる感情や思いは割とはっきり言葉にするので、中村さんの歌詞は特に考察を促すような、深く愛されるものになっているのだと思います(分かりやすい歌詞でも、全く分からない歌詞でも考察のされようもないので、そのバランスはなかなか難しいものです)。

中村さん歌詞における「語り手」と「相手」の関係性は、その構造そのものがキャラクター表現になり、それは当然キャラクターのファンに刺さります。また、一種難解にも感じられる独特の表現が想像力を刺激し、より深く考えたくなるという、この辺りが中村さんの歌詞の魅力といえるのではないでしょうか。


『瑠璃色金魚と花菖蒲』について




『瑠璃色金魚と花菖蒲』は、中村さん作詞のアイマス曲の中でも特に考察やなんやが転がっているもので、今更紹介することもない気がしますが、やはりこの曲が一番中村さんの魅力が感じられるものになっていると思うので、今回あえてこれを紹介しようと思います(線で見ることによる発見もあるでしょうし)。

まず前提となる情報を先に説明しておきます。

この曲を歌唱する白石紬は、スカウトをきっかけに幼い頃の憧れを思い出し上京、アイドルとなった、実家が呉服屋で少々ネガティブなキャラクター。金魚を飼っている。

ぶっちゃけこのキャラクターの説明がイコール歌詞の内容になるのですが、このまま終わらせてもしょうがないので、順を追って歌詞に触れていきましょう。

瑠璃色金魚は恋焦がれる
凛と咲き誇る花菖蒲
吐き出す空気は泡の模様
決してあなたの心に
届かないの

冒頭早速出てくる金魚と花菖蒲ですが、これは当然「金魚」=紬、「花菖蒲」=アイドル(もしくはもっと広く「憧れ」)という具合の直喩でしょう。この時点で誰の、誰への思いを綴った歌詞なのかが分かります。また「吐き出す空気は泡の模様」というあたりで金魚のいる水中と地上との断絶(違う世界にいること)を示しています。

ここまではかなり分かりやすいところではありますが、問題はそれまで「瑠璃色金魚」「花菖蒲」と三人称で進んでいたのが、急に「決してあなたの心に」と二人称と台詞が出てくるところです。流れ的にこの台詞は金魚のものとも思われますが、その後の歌詞を見ても特に魚視点が強調されるわけではなく、ファインディング・ニモみたいな魚アドベンチャーにもならないので、この「瑠璃色金魚」の件は、あくまでイメージというか、比喩と捉えるのが妥当でしょう。先に述べた『ラスト・アクトレス』と似た構造です。

つまり、この歌詞の主人公(語り手)は、金魚でも花菖蒲でもなく、そこに自分の心情を重ねている別の人物ということになります(まあ本質的には同じなのですが、ややこしいのでとりあえずこの前提で進めます)。

それがよく分かるのが次の一節。

はなびらひとひら 水面に落ちて震える指先
時間が 止まるわ 目が覚めた余韻の余白

当然金魚に指先は無いですから(半魚人は除く)、これは花びらが水面に落ちるのを見て「憧れの世界の一端に触れて衝撃を受けた私のようだ」と語り手が連想する場面です。紬的に言えばスカウトを受けた時の心情。

外の世界は ねぇ なんて眩しい
嘘だとしても罪深すぎたの
眩暈がしても心地いいのは
もう求めてるから

次の段では、もうすっかり憧れの世界に心が奪われちゃってます。

サビ。

瑠璃色金魚が見上げるのは
凛と佇んだ花菖蒲
私 あなたのようになれたら
もっと上手く微笑えますか

「あなた」に関しては、花菖蒲=アイドル=憧れぐらいのボンヤリした感じで考えておけばいいと思います。ここでは語り手の自信の無さも示しています。

灯した明りは燃えないまま
今も 青く 棚引いてる
曇った硝子を溶かすほどの
秘密もしかして私 持ってますか

踏み出そうか否か迷っているところで一番終わり。

こんな感じで、憧れの世界へ踏み出したいけど自信がない......という紬の葛藤を、瑠璃色金魚と花菖蒲というイメージに託して語っていくというのが、この歌詞の大筋となります。

ここからは気になるところを抜粋していきます(JASRAC対策)。

2番冒頭。

雨は空に落ち 愛すれば消えるものと思ってた
鏡の世界に 逆さまに映った好奇心

「雨は空に落ち」とは、空が映り込んだ水面に落ちる雨。これもまたイメージで、水面に溶けていく雨同様、夢は夢のまま終わっていくものだという思いがあったことを語ります。そして「鏡の世界に」と併せて、語り手はニモではなく地上から水面を眺めていることが分かります(水中から反転した空は見えない)。また「逆さまに映った好奇心」というあたりから、語り手が憧れる世界が、必ずしも思ったとおりのものでないことが示され始め、2番サビでそれが強調されます。

瑠璃色金魚が知らないのは
強く根を張った花菖蒲
目の前に見えるもの全てが
現実ってことはないの

この辺りは、早とちりな紬の性格を表現しているように読めます。
歌詞は以下ように続きます。

あの時触れてくれた温もり
光 失くしては枯れていく
悲しみで泣く私の涙
また毒になってしまう 抜け出したい

ここは1番の「はなびら〜」と同様の読みもできますが、これはどちらかといえば、もっと根本的な最初の憧れが、現実を知るにつれ霞んでいってしまう様子なんじゃないかと思います。幼い頃に抱いた夢を次第に諦めていってしまうような。そして、その悲しみから涙を流しますが、涙の塩分は淡水魚の金魚には毒になってしまうという負の連鎖です(イメージとごっちゃになっていますが、まあ比喩なので)。それは抜け出したい。

最後の大サビでも同じ歌詞が繰り返されるのですが、こちらでは最後に「私きっと」と、前向きな言葉が追加されます。しかし抜け出すところまで至らないのは、ソロ1曲目から葛藤を乗り越えちゃったら先に続かないし、きっと2曲目以降で瑠璃色金魚がニモばりの冒険活劇を繰り広げるための布石に他なりません!(同じく中村さん作詞の紬の2曲目『さかしまの言葉』は「掬われた金魚」が一つのモチーフになっていたので、この予想もあながち間違ってなかった......?)

もちろんこれはあくまで私個人の解釈なので、各々が各々の解釈を考えればいいと思います。それができる幅がある歌詞だと思うので。

それでは、今回はこの辺で。


消灯ですよ。