【映画】『フリー・ガイ』ざっくり感想(微ネタバレ)

『フリー・ガイ』観ました。

 

 

ある日、自分のいる世界がプログラムで出来たオンラインゲーム(「グランド・セフト・オート」的なもの)と気づいたモブキャラが、自我に目覚め「世界」を救うため奮闘する話。

 

普通に観ても笑えて、泣けて、サプライズもある、とっても楽しい作品なのですが、それでいて深い問いも含んだ作品でもあります。

 

ひょんなことからた銀行員のモブキャラ「ガイ」は、プレイヤーキャラの証であるサングラスを手に入れ、『ゼイリブ』よろしく街に隠されたさまざまな情報を知る。そしてプレイヤーのようにミッションをこなしたり、アイテムを集めたり、文字通りのゲームを楽しみます。しかし、自分のいる世界や、自分自身でさえ誰かに作られたプログラムであるということに気づいた「ガイ」は絶望し、無気力感に襲われます。そんな「ガイ」に友人の警備員(彼もモブキャラ)が言葉をかけます。「この世界が作りものだろうが、お前のその感情は現実だろ?」

 

実際にはその感情さえもプログラムではあるのですが、「ガイ」はそれも含めて認めた上で、自分のやりたいこと「想いを寄せるプレイヤーキャラ“モトロフ・ガール”を助ける」という目的に向かって立ち上がります。

 

この「ガイ」の葛藤が心を打つのは、彼のようなモブキャラに限らず全ての人間に共通する普遍的葛藤だからです。

 

「自分が生きてる意味なんてないんじゃないか?」というのは、古今東西あらゆる人間が抱く疑問ですが、事実人間が生きる意味なんてものはありません。しかしそれでは自我が保てないので、主に宗教のような虚構が必要とされたりするわけです。では宗教があれば万事解決なんてことはなく、多くの場合ロクでもない結果を招いているわけで、結局のところ「ガイ」のように、何のために生きるかは自分で決めるのが一番良いと思います。

 

そんな「ガイ」と対照的に描かれるのが、本作の悪役にあたるゲーム会社の社長(演じるのは『マイティ・ソー ラグナロク』監督のタイカ・ワイティティ。同日公開の『ザ・スーサイド・スクワッド』にも良い役で出ていてビックリした。みんな大好きか)。彼は数字と金儲けしか考えない「合理的」で「リアリスト」な人間をデフォルメしたようなキャラクターですが、「現実」を見ているようでいて、資本主義という宗教に囚われているだけの存在です。なので、その宗教で説明できない「ガイ」という存在を前に壊れてしまう。

 

奇しくもこのタイミングでメンタリストが最悪な「合理的考え」を開陳して当然のごとく炎上していましたが、本作はそういう手合いの浅ましさを愉快に描いているのも楽しい。

 

また本作で興味深かったのが、仮想世界で生きるキャラを眺めるだけのゲームが登場したり、日本における「推し」を眺めて癒される的なメンタリティが向こうにもあるんだなあというところ。さらにその延長で、ラストシーンをはじめ「現実」と「虚構」どちらのつながりも等価に描いているのには好感を持ちました。ほとんど虚構に生きている人間として。

 

最後に本作が気に入った方は近いラインの大傑作『LEGOムービー』もおすすめ。序盤「ガイ」の朝のルーティンのくだりでこの作品を思い出したりしました。

 

 

それではこの辺で。

 

消灯ですよ。