【アイマスMR】「星井美希特別生配信♪」とMRについて考える

星井美希特別生配信♪」観ました。

兎にも角にも「かわええのう」の一言に尽きる配信で、通常のトークはもちろん、コメントに対する「あ!」とか「え?」みたいなちょっとした反応、スクショタイムの「どう?撮れた?」みたいなふとした言葉も可愛く、同時にライブ感が強く感じられて良かったです。

また、可愛さだけではなく感動してグッとくる場面もあって、特にライブパート『Day of the future』の間奏中に「ハイッ!ハイッ!」と美希が煽りを入れてきた瞬間には、思わず目頭が熱くなりました。

それは、キャラクターが生でパフォーマンスしてる事への感動であり、しばらく行けていなかったライブを感じた事への感動でもあり、美希のMRや単独ライブが中止になってしまって以降ようやく765の新しい動きが見れた感動であり、そういった様々な感動が合わさったものだったと思いますが、さらにもうひとつ、虚構と現実の壁が一時的に破られた衝撃があったと思います。



・今回の配信と第4の壁について

そもそもこの配信自体、視聴者とコミュニケーションを取りながら進んで行く形だったわけで、その意味では虚構と現実の壁などはハナからないとも言えるでしょう。しかし、前半のトークパートは美希の質問に視聴者が答える、あるいは視聴者からの質問に美希が答えるという、型の決まった比較的穏当なものであり、ライブパートも途中までは「この指先の動きとかはリアルタイムでつけているんだろうなあ」とか普通に感心しながら一方的に見れるものであり、どちらも強くこちら側の現実を強く揺らがせるものではありません。

そうしてある意味安心しながら見ていたところで、急に美希がこちらを煽ってくる。現実と虚構が非常に接近しているとはいえ、一定のルールの中で動いており、それぞれの世界が直接脅かされることはない......と、思っていたら不意に虚構側から働きかけられてドキッっとするこの感覚は、映画などにおけるいわゆる「第四の壁が破られる」感覚に近い気がします。

「第4の壁」とは、演劇において舞台上の四方の中で唯一空いている面、舞台と観客席との境界には見えない壁があるとする、つまり上演中は観客など居ないものとして進めるというお約束のことであり、そのお約束を意図的に破ることは「第四の壁を破る」と表現されます。最近では映画『デッドプール』で知った方も多いでしょう(奴は原作からそのノリです)。

「第4の壁」が存在して、それが破られることがないという観客側の共通認識があるからこそ、
「第4の壁が破られる」ことによる衝撃があるわけで、美希の配信も「ライブパートはこっちが関わることは無かろう」と油断してたからこそ、それが破られたときの衝撃がありました。

結局のところ、画面を通じて現実から虚構側の世界に働きかけ、虚構側のキャラクターがそれに応答するという構造それ自体は、ゲームで選択肢を選びキャラクターと会話するということと根本的には同じことなのです。だからこそ、『メタルギア』をプレイしていたら急に「お前はときメモが好きなようだな」と言われるような衝撃は得やすいわけで、そこはまたゲームよりも今回のような配信が強い点なんじゃないかと思います。

そしてそれは、先行して行われていたアイマスMRでは意外と無かった感覚でもあります。



・MRとの比較

MRはそもそもアイドルを目視できている時点で壁を超えてきた感覚があり、「壁を破られた」という感覚は壁が存在してこそ得られる感覚な訳で、MRのように初めから壁が無い(あるいはその感覚が薄い)場合は破られようもありません。

今回の配信ではアイドルと「時間」を共有できるという特徴があったと思いますが、MRではそれに加えて「空間」も共有できるという特徴があり、どちらが良いというわけではなく、この2つは似ているようで結構性質が違うものなんじゃないかと思います。

そんなわけで、今回の配信を経て逆説的にMRの「肉眼でアイドルが見える」ことの重要性を再認識した次第です。なのでバンナムにはDMMシアターに代わる施設を至急作って頂きたい。

それから、これはMRの時からあった問題ですが、キャスト(主に声優さん及びモーションアクターの方)がいかにキャラクターを崩さず演じられるか......という点以上に個人的には重要だと感じている観客側の意識の問題が、配信という形になったことでより明確に見えてきたと思います。

結局のところ、キャストがどんなに頑張ってキャラクターを完璧に演じていても、観客や視聴者が裏のキャストやスタッフを意識してキャラクターと対峙していてはこの試みは成り立ちません。別作品の話や声優さん個人の話、モーションがどうしたといった技術的な話など、その場の虚構性を露呈させるような話題が出続ければ、その場は簡単に破綻します。

実際問題アイドルは虚構なので、虚構として見れば当然虚構として映ります。

MRにおいては、小規模な会場、安くはないチケット、アイドルが肉眼で見えることによる実在感などの様々な要素が重なり、会場全体に「皆でこの場を成立させよう」という連帯感が生まれることで、この問題をクリアしていました(それでもギリギリだったと思いますが)。

しかし、生配信となれば基本的に誰でも観ることができ、今回はのべ9万人もの視聴者がいましたから、場が破綻するリスクは一気に高まります。

今回の配信はほとんど問題ありませんでしたが、この形でこの先も続けるとなれば、何かしらそういったリスクを軽減する施作は必要なんじゃないかという気はします。

全体的なあり方としては、個人的に映画の「応援上映」のような形が望ましいと考えています。

古くは『ロッキー・ホラー・ショー』から、最近では『HiGH&LOW』、アニメでは『KING OF PRISM』などの映画で有名な応援上映ですが、これは映画のコスプレをしたり、合いの手やツッコミをしたり、鳴り物を使ったりなど、観客主導で作品世界に浸りながら能動的に映画を楽しもうとする試みといえると思います。(ちなみにTHE IDOLM@STER MOVIE 輝きの向こう側へ!』でも応援上映がありましたが、この作品自体はシリアスなパートが多いのでそこまでハマってはいませんでした。映画の応援上映に関しては、ちょっとゆるくてアゲ偏重ぐらいの作品がちょうどいいようです。

アイマスMRや今回の配信でも、そのように観客側が能動的に虚構側に加担していくような流れができれば、もっと挑戦的なこともしやすくなるような気がします。

ただそれは上意下達で広まるものでも無いですし、その塩梅も難しくはあるのですが、もともとライブのコールなどは観客サイドから出てきたものなわけで、ことアイマスにおいては全く無理なことでもないでしょう。


・765の強み

それから今回、ある質問に対して過去の作品と整合性の取れた答えをしていて凄い!ということが話題になりました。これに関して、そうやって「キャラクターの整合性を試す」ようなことをしたくなる気持ちも分かりますが、個人的にはむしろ知識のある人間が率先して虚構を作り上げることに加担していくようになれば、場を破綻させるリスクを軽減させることにつながって良いんじゃないかと思います。そういう送り手と受け手の共犯的な関係性に関しては長年培ってきた765の強みでもありますし。

こういったMR的試みでの765の強みということに関してついでに付け加えておくと、長年アイドルを切れ間なく演じ続けている声優さんの年季はもとより、パラレルで多種多様な展開を積み重ねてきたことはかなり大きいと考えています。

シンデレラ、ミリオン、SideMなどもそれなりに年月を重ねてきて、即興でキャラを演じることぐらいなら可能な人も結構いると思います。ただ、先に述べた「キャラクターの整合性」という観点において、ソシャゲやアプリゲームを中心に据えて長い期間やってるこれらの作品だと、キャラクターの「正解」が決まってしまっている側面が強く、カルトQ的場面での対応が765に比べてかなり難しいと思います。ソシャゲとアプリゲームの時点でキャラやシナリオの齟齬を指摘されているような場面も度々見ますし。

もちろん今回の配信がそうだったように765でもカルトQ的場面はあるでしょうし、その範囲だけ見れば膨大でもあります。パラレルの積み重ねによって、ちょっとぐらいハズしても許容されるほど「正解」の範囲が広くなってるのもまた765の強みと言えるでしょう。

ちなみに本来キャラが固まりきっていない新規IPなどはかえってMR的なことやりやすいのですが、シャイニーカラーズはもうシナリオの評価が非常に高く固まっており、「正解」が完全に決まってしまっているように見えるので、それ自体結構なことではあるのですが、MRはもとより新展開自体非常にやりづらそうだなあとは遠くから眺めて思ったりしています。



・今後の展開について

残念ながらDMMVRシアターが無くなってしまい、さしあたってアイマスMRそのものはできなくなってしまったので、MR的な試みをやるのであれば今回の配信のような形になっていくのだとは思います。

showroomでの配信も、現実のアイドルに並んでいる感じが良いというのも分かりますし、こうしてたまに大々的に配信するのも必要ですから、今回はこの形の配信で正解だったと思います。ただ、恒常的にやっていくとなれば、先述の諸々を考えるともう少しクローズドなところでやったほうがいいのかなという気もします。

一方、YoutubeやニコニコでやるとVtuber的なものに回収されてしまうのではというのも一理あるので(とはいえ私自身Vtuber的なものにちゃんと触れられてないので、ちゃんと触れた上で考えたいテーマでもあります。根本的には違うものだろうというのはありますが、外側のが似てることからの影響もあると思います。)、アソビストアの配信サービスを整備して使うのも一つのやり方でしょう。

というのも先日アソビストアで配信されたDJイベント「アソビノオト」のミライ小町ステージでスマホ連動のAR的試みをやっていて、それが大変興味深かったからで、そういったことも組み合わせていけば、また面白いことができそうな気もします。

また今回の配信を受けて、「今後765ASのキャストがライブに出るのは難しいかもしれないけど、この形ならいつまでもできるな!」みたいな物言いも出ていましたが、個人的にはことあるごとにキャストが「ライブやりたい」と言ってくれている現状で、受け手側が勝手に忖度してその可能性を閉じてしまうのはどうかと思いますし、キャストにも失礼だと思います。

第一、今回のような配信と、アイマスMRと、声優さんによるライブとではそれぞれ全く異なる体験を提供する試みであり、これがあれば他のはなくていいなどと言えるようなものではありません。

それぞれどのよう違うのか、今回の記事を書くにあたってアニメやゲームを加えて、「虚構」と「現実」を軸にそれぞれの立ち位置をまとめたものを作っていたので、せっかくなので載せておきます。


↑虚構寄り

・アニメや漫画など完成された作品
現実からは直接干渉することは出来ず、逆にこちらが直接的に干渉される事もない。ただただ鑑賞するのみ。現実とは断絶された完全な虚構。

・ゲーム
虚構の中のキャラクター(プロデューサー)を通じて現実から虚構の世界に干渉できる。

・擬似MR配信(あふぅTV)
虚構と現実とで直接的にコミュニケーションが取れるが、あくまでアイドルは画面の向こうに居り、虚構の域からは出ない。

ー現実の壁ー

アイマスMR
肉眼でアイドルの存在が確認できる。リアルタイムでコミュニケーションをとることができ、強い現実感を感じられるが、観客側も場面に応じて「プロデューサー」や「ファン」など虚構的な振る舞いを要求される。

・声優さんによる音楽ライブ・イベント
現実の声優さんと現実の観客によって、虚構の世界を再現しようとする試み。次元的な齟齬が全く無く、観客の応援がそのまま虚構のライブの再現にもなるため、観客は意識して「プロデューサー」を演じたりしなくてもよく、何の違和感もなく楽しむことができる。

↓現実寄り


あくまでざっくりなので諸々詰めるべきところはあるでしょうが、それぞれの展開が全く別物だというのは間違い無く言えるので、それぞれをそれぞれに続けいってほしいです。

とは言いつつ単独ライブも中止になっちゃったしなあ...とか思ってたら、生配信とさらに過去のラジオ3タイトルが復活という超嬉しいニュースが入ってきたので、超元気になりました。MA4含めこんな状況でも先の楽しみがあるというのは本当にありがたいことです。


それではこの辺で。

消灯ですよ。