【映画】『哀れなるものたち』感想(原作ネタバレ有)

ヨルゴス・ランディモス監督『哀れなるものたち』観ました。

 

自殺した妊婦の肉体に胎児の脳を移植されることで誕生したベラ・バクスターの冒険と成長を描く……という話。

 

 

前評判通り多分にフェミニズム的な要素を読み取れる作品であり、ゴリゴリの男性中心主義の中で絶えず男どもの欲望にさらされながらも、社会の「常識」にとらわれず確固たる主体性を獲得していくベラには勇気付けられる人も多いでしょう。

 

ヘンテコな世界観や美術・衣装も見事で、ビジュアル的にも終始飽きることなく鑑賞することができました。

 

ただ個人的にはベラがあまりにインテリの理想みたいな存在すぎて、かえって乗りづらかったところはあります。「自分に都合のいい理想を押し付けてくる人たちに毅然と対応する存在」というのもまた都合のいい理想を押し付けているだけのように思えてしまって。もちろん過去にそういう理想を体現した女性キャラクターが大々的に出てこなかった中で『バービー』しかりこういった物語が増えてきていること自体はいいことだと思います。

 

 

ただそのあたりは原作が結構違うというのを聞いて、実際原作を読んだら映画とはかなり違っていて個人的にはこの原作の方がかなりハマりました。

 

原作の構成としては今回の映画の元になったマッキャンドルス医師の記述によるベラの物語があり、その物語に対するベラの反論があり、著者アラスター・グレイ(この本は偶然発見された文書を編集している体になってるため「編者」という立ち位置になっている)の補足と脚注があるという形になっています。

 

今回の映画と違う点は多々ありますが、物語的に大きいのが、ベラ本人の手紙による物語への反論パート。ベラによれば胎児の脳を移植された事実はなく、過去の記憶もあり、「ベラ・バクスター」という存在はあくまで前夫から隠れるための仮初の身分であり、マッキャンドルス医師にたいしても終始さほど愛情は感じておらず、本当に好きだったのはゴッドだったということ。

 

これを読むと、じゃああの物語はマッキャンドルス医師による創作だったのか? とベラが真実を語っている確証も無いのについ思ってしまいます。「反論」という形が取られていれば、どんなに荒唐無稽な論理でも一聴してしまうということはよくありますが、ベラの論理は非常に理路整然としているため、余計にベラの方を信じてしまいます。さらに面白いのは知らず知らずに「どちらかは真実を語っている」思ってしまうことですが。

 

それはさておきベラの手紙は物語への反論もそこそこに自身の(第一次世界大戦が起こったのは自分のせいだと本気で思っているほどの)強めな政治的主張が主となっていきます。そしてこのベラの手紙に対する「編者」アラスター・グレイの反論・補足もあり、それによるとベラの政治的主張や行動はあまり受け入れられず上手くいっていなかったとのこと。

 

これらの記述によって分かるのは、少なくともベラとて完璧な存在ではなく、ベラも結局「哀れなるもの」なのではないかということ。

 

ここまで語られれば個人的にもかなり腑に落ちたのですが、しかしここまで入り組んだ構造を一本の映画にまとめるのも困難であったのは間違いありません。ベラを相対化する視点は思い切って削り、ビジュアルの面白さで勝負するというのは極めて妥当な判断だったと、原作を読むことで翻って映画の評価が上がりました。

 

もちろん映画だけ観ても十分に楽しめるとは思いますが、やはり原作を読むと面白さが何倍にもなると思います。

 

 

それでは今回はこの辺で。

消灯ですよ。