【シャニアニ】単に予算と時間が足りなかっただけかもしれない『アイドルマスター シャイニーカラーズ』第3章感想(ネタバレ)

2024年春のTV放送に先駆け、全3章構成で劇場公開の始まった『アイドルマスター シャイニーカラーズ』の第3章を観ました。ちなみに私の「シャイニーカラーズ」に対するスタンスは、ゲームは未プレイ、『スターリットシーズン』で一部のキャラクターには触れている、サブスク解禁で楽曲は一通り聴いているという感じです。

 

第1章の感想↓

 第2章の感想↓

 

第2章でその独特な(特に劇盤から醸し出される)空気感にアンビエント的な楽しみ方を見出してから本作に対する印象が一気に良くなり、結構楽しみに今回の第3章を観にいきました。

その楽しみ方で10話までは比較的いい感じで観賞できたのですが、逆にライブが始まってしまう11話と12話ではそういった逃げ道もなく、観ていて辛くなってしまったというのが率直な感想です。

最終的には単に予算も製作時間も無かっただけじゃないの?という結論になったのですが、それも踏まえて各話の良かったところや気になったところを書いていきます。

 

 

 

第9話

ライブのセンターに抜擢された真乃が新曲のレコーディングやアンティーカとの交流を経て決意を固める回。

こうまとめるとちゃんとしたプロットなのですが、いかんせんこれまで同様ボンヤリした印象の話になってしまっていたと思います。

これは本作全体に言えることなのですが、脚本的にはきちんと葛藤を置いたりしてドラマを作ろうという意思が感じられるのですが、平板な演出の中でキャラクターの機微を描くにはどうにも尺も足りないし、それを補うだけの3Dモデルの表現力も無いというのが根本的な問題な気がします。

例えば今回は霧子が忙しく離れ離れなアンティーカに不安を覚えるという描写があって、本来メンバー全員に複雑な感情があるはずだろうにそれが画面から伝わらないので、その帰結としてある咲耶の「それでいいんじゃないの」という台詞に肩透かしな印象を持ってしまいます。

意識を変えることでレコーディングが上手くいくという展開も、歌がどうこうの前に演出的に変化が分かりにくいというのが大きかった気がします。

 

とはいえやりたいことは分かりますし、アンビエント的には個人的に満足だったのですが、ひとつだけ「最後にドヤ顔でサブタイトル出せるような話じゃなかっただろ!」とは強く思いました。

 

 

第10話

合宿回。合宿先の廃校になった学校?について、過去に合宿をしていたらしい果穂が「思い出いっぱいです!!」と語るところで、ここまでそんな描写ひとつも無かったので「いや観客には無いが??」と思ってしまいました。スムーズに舞台の構造を説明するためかもしれませんが、別に初見設定でもよかった気がします(原作で何かあるのかもしれませんが)。

 

それはともかくこの回は比較的楽しくて、まずキャラクターが全員集合していて強制的に画面に動きが出るため退屈せず観ることができました。

動きといえばダンスレッスンの各キャラクターの動きもちゃんと個性が出ていて、個人的にはおばあちゃんみたいな動きの甜花のダンスがツボでした。

あと第9話で「これいる?」と思った花火大会の設定も、今回の手持ち花火の描写で「大きな光ではないかもしれないけど、それぞれが独自の輝きを持ってるんだよ」的なことがやりたかったのだなと思って、ある程度納得はしました。

 

またこの回で個人的に一番良かったのは、夕飯作りで炊飯器の米の視点からアイドルを映した、アイドルに炊かれる米の気持ちになれる稀有なシーン。声にもちゃんと水中のエフェクトがかかっていて、謎に凝っているのが面白かったです。

 

 

第11話・第12話

ライブ回。2話をかけてライブを描くのは『ミリオンライブ !』と同じ構成ですが、「普通にやればこうなっちゃうよなあ」という印象でした。

 

これまでのドラマの積み重ねが希薄で、このライブに対する葛藤も感慨も大して描かれていないので、物語とは乖離したPVのようになってしまっていた気がします。

ユニットの円陣があってから前のユニットのステージに戻って、それが終わってから円陣をしたユニットが出てくるという流れなど、現実ではそうなのかもしれませんが、テンポとしては地味に良くなくてライブPVとしてもいまいち乗り切れませんでした。

 

そしてここで気になってくるのが本作の曲の少なさ。カップリング曲はここで初出ですが、それ以外はこれまでの話やOPで出てきた曲しかやりません。それでいて前回からの変化も特に無く、ステージの見せ方も単調なので、正直そのあたりは見るのがしんどかったです。

 

振り返ると本作では全体的に少ない要素をやりくりしながら作っている感じがありました。ユニット曲にしろ全体曲にしろ作中2回は出していて(EDでインストまで使うし)、モーションを使いまわしているとは言いませんが、複数のテイクを用意する方が、別の曲をダンスから新たに用意するよりはるかに手間が少なく済むでしょう。

複数のキャラクターが話す場面でカットを割らずカメラを動かす演出も、3DCGとしては一番ローコストなやり方だと思います。

他にもキャラクターの動きが少なかったり、会議室や社長室の配置もだいたい同じだったり、建物の外観から空にパンして場面の締めが1話の中に何度も出てきたり、実際どうかは分かりませんが、少なくとも観てる側としてはその辺りを作り込む予算も時間もなかったのかなと邪推してしまいました。

 

特にそれが目についたのが12話で、全体曲をフル尺で2回やるのですが、そのどちらも過去シーンの回想をを入れ込んでいて、今回の全体曲は2つとも2列ぐらいに並んでフォーメーションとかも無いので画が持たないというのがあるのでしょうが、同じ演出2回は流石に無いだろうと思ってしまいました。

ただ『ツバサグラビティ』の「ここではないどこかじゃなくて 今ここで(うろ覚え)」みたいな歌詞に1話のみんながぼんやり空を見上げている回想が乗っかったところは、一応最低限話の筋は通ったなと思ってちょっとグッときはしました。

 

 

まとめ

本作のストーリーについて、最終的には『ツバサグラビティ』の歌詞にあるように「ここではないどこか」を夢想していた女の子たちが「自分の居場所」を見つける話と要約できると思います。しかし、それを納得できるだけの描写が圧倒的に不足しているので、やっぱり全体としてぼんやりした印象になってしまったと言わざるを得ないのが現状だと思います。

 

結論としては「ちゃんとビジョンは持って作られてはいるが、色々追いつかなかった結果独特な味わいになってしまった」という、正統なB級作品といった印象でした。個人的には割と気に入っていて、カルト化する可能性も無くはないと思いますが、一般受けはしないかなあというのが正直なところです。

 

TV放送も楽しみ(2期はそんなに楽しみじゃない)。

 

 

それでは今回はこの辺で。

消灯ですよ。