【アニメ】ありすが本当に求めていたもの『アイドルマスター シンデレラガールズ U149』第11話感想

2023年4月から放送のTVアニメ『アイドルマスター シンデレラガールズ U149』第11話「大人と子供の違いって、なに?」を観たので感想を書いていきます。

 

満を持しての橘さん回ということで、劇場版もかくやな美麗な映像とエモーションが詰まった1話で、非常に見ごたえがありました。

 

橘さんの葛藤については第1話と今回で実質前後編とも言っていいほど連続性を持った表現になっているので、比較しながら見ていきましょう。

まずは1話の冒頭、橘さんの左手のリボンはメルヘンな扉に、右手のリボンは現代的でリアルな扉に繋がっています。当然これは前者が子供、後者が大人の象徴でしょう。

 

そして11話の冒頭、橘さんは右手のリボン、すなわち「大人」の道を選択します。

 

その先に待っているのは暗い水の中、そして嵐の海です。

これは1話と今回の11話でも反芻された水槽越しの画を飛躍させたような表現で、「孤独」や「不安」や「息苦しさ」が上手く映像表現に落とし込まれていてとても良かったと思います。

この心情風景とカットバックする形で描かれる現実のまちの描写もまた美麗で凄い。

 

そして「大人」につながるリボンを辿った先で見つけたものは......

鏡に映る自分自身だった。

そこで気づくのは、大人も夢を見て涙を流すのだということ、子供も大人も変わらないのだということ。

そもそも橘さんが努めて大人びた態度をとっていたのは、忙しくなかなか会えない両親に近づきたいという欲求から。自分が「子供」だから「大人」の両親といっしょに居れないのだと、「子供」と「大人」の間に壁を感じていたから「大人」になろうと背伸びをしていたのでしょう。

しかし「子供」と「大人」の間に壁なんか無いと気づくことで、子供である素の自分「ありす」として遠慮なく両親に甘えられるようになったと、そのように今回の話はまとめられると思います。

 

そして最後は1話でプロデューサーが見せた「夢を見る目」をありすも見せて、全員で夢の世界へ登っていくという、非常に綺麗な着地を見せたと思います。

 

 

......ただ個人的には引っかかるところもちょこちょこあって、まずは課長を中心とした嫌〜〜な「大人」達の存在。

「大人も子供も同じ」と言うのであれば、彼らにも一定の夢や理想がある(あった)ように描かなければ筋が通らないと思いますが、どう考えてもこの人たちは夢も希望もキラキラもありません。前回で課長とは一つの決着がついて、今回何らかのフォローでもあれば良かったと思いますが、今回も結局嫌なやつのままで、全編通して「大人」の造形はかなり勿体無かったと思います。

 

また、ありすの葛藤はあくまで「両親といっしょにいたい」というものであり、本質的には葛藤と「アイドル」というモチーフが全く関係無いというところもいまいち腑に落ちないところです。他にもありすを探すくだりは映像的にはいいけど作劇上は特に意味がないよねなどなど、気になるところは色々ありますが、映像が素晴らしかったのでその辺は帳消しになるでしょう。

 

ともかくこれでお話としては締まって次はライブ回でしょうから、何も考えず楽しみに待ちたいと思います。

 

 

それではこの辺で。

消灯ですよ。