『劇場版 RE:cycle of the PENGUINDRUM [後編]僕は君を愛してる』さっくり感想

『劇場版 RE:cycle of the PENGUINDRUM [後編]僕は君を愛してる』観ました。(前編の感想はこちら→『劇場版 RE:cycle of the PENGUINDRUM[前編]君の列車は生存戦略』感想 - 未詳の空論)

 

割と大胆にTVシリーズを再構成していた前編に比べ、後編は比較的そのまま濃縮した印象でした。それでいて前編と同じく情報がかなり整理されていて、多蕗と冠葉の手の傷の対比、人を繋ぐものとしての「マフラー」など、当時から考え抜かれてモチーフが配置されていたことがよく分かります。個人的に今回改めて気づいた点として、桃果が多蕗を助ける際に破ったこどもブロイラーの看板が、後に晶馬が陽毬を助けに行く際の通り道になっているところ。あくまで反復としてそうなっていただけでもあるでしょうが、先人の行動が後に続く者の道になっていくという、幾原作品らしさを感じました。

 

新作パートがどうなっていくのかと思ってましたが、あのぬいぐるみを届けるところに繋げるのは驚いたし納得しました。幾原作品では「最後主人公が消えて、愛する相手に何かを残す」という展開がウテナピングドラムと共通していて、それが「自己犠牲」という枠組みで語られることもよくあると思います。しかしピングドラムの次作のユリ熊嵐について監督は「自己犠牲で何かがかわるという風にはしたくなかった」と語っているように、ピングドラムの時点でも単に「自分はどうなってもいい」的な意味での「自己犠牲」はそもそも肯定的には描かれていませんでした。その点、今回の新作パートは晶馬・冠葉に関して、より分かりやすく未来に開けたポジティブな印象を与える形で補強していて、単純な「自己犠牲」肯定に線を引いてるように感じましたし、今の時代にこの物語を改めて語り直すことについてしっかり考えられていると思います。

 

また、もとのTVシリーズは最後タイトルの出し方で泣かせるというのがあって、「だから私のためにいてほしい」はほぼ同じ形で字幕が出ていたのに対して、最終話の「愛してる」がもとよりだいぶ早いタイミングで字幕が出ていて初めは何だろうと思いました。それも最後まできて全員の「愛してる」連打を際立たせるためだと分かりますし、そもそもタイトルの「僕は君を愛してる」から最後に出る「きっと何者かになれる」という字幕に至るまで、ものすごくストレートにポジティブなメッセージに驚きます。これもTV放送時からより殺伐とした世の中で、今の時代に「皮肉や冷笑ではなく、大事なことを正面から言う重要性」を感じられて良かったです。

 

前後編合わせて、改めて作品の良さが分かって、今語り直される意味がしっかり考えられた良い劇場版でした。

 

 

それでは簡単ですがこの辺で。

 

消灯ですよ。