【映画】過去の選択について考えることの無意味さ『どうすればよかったか?』感想

監督自身の家族、統合失調症を発症した姉と、彼女を家に閉じ込めた両親の20年あまりを記録したドキュメンタリー『どうすればよかったか?』観ました。

 

「どうすればよかったか?」

 

この映画を観ていると、「ここで医者に見せていれば」「無理にでも入院させていれば」「そもそも医大を諦めさせていれば」など、無数の「こうすればよかったのでは?」という選択肢が浮かびます。

 

しかし選択肢は無限にあるように見えて、現実は違います。

 

人が選択をするとき、それまでの経験や知識、人間関係、家族の価値観、社会の価値観、その瞬間の状況など、あらゆる事柄に影響を受けます。その結果、実際に取れる選択肢はかなり少ない。つまり、全く関係のない我々観客が考える「こうすればよかった」という選択など、実際には概ね取りようがないのです。

また過去の選択を否定するような選択をするのもかなり難しい。監督が母に姉を病院に連れて行くよう提案した際、「そんなことをしたらお父さんが死んでしまう」と答えていましたが、それもある意味正しいと言えるかもしれません。過去の選択を否定することは、積み重ねてきた自分自身を否定することにもなり得ます。さらに年月が経てば経つほど、まして20年も「これでよいのだ」と選択し続けたことを変えるのは、それまでの年月が全て無駄だと認めることになるわけで、並大抵のことではありません。

大きく環境が変わる出来事があれば、それまでとは違った選択をすることに抵抗が無くなることもありますが、この家族は姉とともに家に閉じ籠り、変わらぬ環境で過ごし続けることを選択してしまいました。この状況で新たな選択をするのは非常に難しいでしょう。

実際姉を病院に連れて行くきっかけとなったのは、母に認知症の疑いが出たうえ亡くなってしまうという、極めて大きな環境の変化があった後でした。姉を外に連れ出すようになったのもガンが発覚した後のようですし、やはり環境の変化がなければ、考え方を変えるのは難しい。

 

また、もし過去に戻って「こうすればよかった」という選択肢を取ったとして、それが良い結果をもたらすとも限りません。早い段階で医者に見せていても、良い医者にかかれないかもしれませんし、治療法も発達していなかったかもしれません。社会の理解不足もあるでしょうし、より悲惨な結果になっていた可能性さえあります。

 

結局のところ、過去の選択について「どうすればよかったか?」と考えたところで、その時点ではもうどうすることもできないのです。

 

できることといえば、過去の選択を受けて、この先「どうすればよいか?」を考えることだけです。

 

本作において、監督は家族の選択とその結果を赤裸々に曝け出してくれました。これを観た我々観客ができるのは、この家族の選択についてとやかく言うのではなく、それを受けてこの先「どうすればよいか?」と自分自身に問いかけることだけなのではないかと思います。これは特別な話では全くなく、誰の身にも起こりうることなのですから。

 

 

それでは今回はこの辺で。

消灯ですよ。