【映画】逃げ道がない現実を突きつける『プロミシング・ヤング・ウーマン』感想

『プロミシング・ヤング・ウーマン』観ました。

 

 

バーでベロベロになった女性が、下心丸出しの男の雑な口車に乗って男の部屋に連れ込まれる。話もそこそこに男がコトに及ぼうとすると、女性は急にシラフになり男に言う。「お前、何してんだ?」

 

コーヒーショップで働くカサンドラは、毎晩ベロベロになったフリをして、下心100%で寄ってくるクソ男に制裁を加えていた。ところがある日、医大の同級生だったというライアンと出会ったことで、彼女がクソ男に制裁を加える日々を送るようになった原因の、過去のある出来事が明らかになっていく……。

 

冒頭からタモリ倶楽部よろしくダンスフロアで楽しく踊る男たちの股間が次々とアップで映されるのですが、この時点で本作は性欲にまみれた男のクソさを描いていくのだろうと一発で分かる、素晴らしく気持ち悪いオープニング。

 

本編においても出てくる男が一部を除いて最悪なやつばかりで、女とセックスすることしか考えておらず、そんな自らの最低な行いを指摘されれば100%逆ギレして救いが無い。「お前も誘ってたんだろう」とか「あの頃はガキだったから」とか、逆ギレして言うことが皆揃って同じだったり、自分の思い通りにならないと悟るや「ブス」だの「アバズレ」だのと最低の捨て台詞を吐く様には強いリアリティを感じます。

 

一方で本作はただ「男はクソ」で終わる作品でもなくて、そういった男性中心社会に適応してしまった女性にも切先を向けます。男性側に取り入ることだけを考える同級生や、「将来有望な若い男性」を守るため被害女性の訴えに耳を貸さない学長など、そういう人物を配置することで「男」がどうのと言う以前の社会の歪みに目が向く上手い作りになっています。

 

今だと女性同士の連帯に話が向かうことも十分あり得たでしょうし、実際同級生の女性と連帯に向かうような流れもあるのですが、それは直後に裏切られます。

 

このように本作では一から十まで「こうなってほしい」と思う展開を提示しながら、それらをことごとく裏切ってみせます。それまでの積み上げがオーソドックスかつ丁寧な分、その裏切りが予想できてもショッキングに感じます。同級生ライアンとの恋愛関係、弁護士の反省、復讐の行方など様々な形で裏切りがありますが、1番はカサンドラの死でしょう。

 

復讐しようとした相手に逆襲され、逆に殺されてしまう(しかしそれも計画のうちだった)という展開は、一見爽快にもとれますが、それにしては殺され方があまりにもむごい。そして本当に爽快にしたかったらカサンドラは死ぬべきでは無いし、この展開は自己犠牲を賛美するようにも捉えられます。

 

「逃げ場が無い」私がこの展開に感じたのはそれで、映画全体に通じる感覚でもあります。男どもの性差別的言動がクソなのは当然として、それを擁護する奴もクソだし、クソだと言いつつ何もしない奴もクソ。そしてカサンドラの死は、そんなクソと戦う女性を安全な立場から見て溜飲を下げている、自分のよう人間のクソさを突きつけます。

 

「じゃあどうすればいいんだよ」とエンドロールの間呆然としてしまいましたが、逃げ道のない本作の中で唯一可能性が示された弁護士のように、結局のところそうして考え続ける他ないんじゃないかと思います。その意味で思考を促す良いラストだと思いますし、やはりアカデミー賞脚本賞は伊達じゃない。

 

 

それではこの辺で。

 

消灯ですよ。